保育の歴史とかかわる書物
公立小学校併設幼稚園の原型
児童福祉法が制定され、「保母」という名称が定められたのが1947年のことです。
保母養成に関する政令(政令第74号)が発令されたのが1948年です。
「京都保育専門学院 30周年記念誌」によると、「伝道と保育に使命を感じ思いを同じくしていた中江正治、櫛田一師、勝山晶子は未だ保育所のない京都桂地区(樫原)に三菱重工業株式会社京都機器製作所より土地及び建物の譲渡を受け1948年1月17日に桂保育園を設置。任意団体桂愛育会を主体として保育並に隣保、教化活動を起こした。」と記載されています。
また、1975年京都柳池小学校に「幼穉遊喜場」が設けられ年齢を問わず幼児に教育がなされるようになりました。
ここはわずか1年半で閉鎖されたのですが、これが公立小学校併設幼稚園の原型となっています。
子供の家保育園の出発点
1960年、子供の家創立40周年の際、明忠院前住職である服部賢準氏をたたえて「幼児保育の父」の碑が建立されました。
その翌年、境内で映画会を開催し、その寄付金で託児施設「子供の家」建設に着手し、同年8月に施設が完成しています。
これが今日の「子供の家保育園」の出発点となっています。
また、豊明市では、昭和初期に多くの寺院などで農繁期の託児施設が開設されています。
それは県の働きかけによるもので、昭和10年に曹源寺で、11年に照栄寺で、さらに12年には寂光寺と禅源寺で相次いで託児所が開設されており、ほかにも大脇公会堂などの公共施設を使って農繁期の託児所が開設されています。
このほかにも保育についての研究、保育にかかわる書物は、これまで数多く刊行されています。
産休明けからの0歳児保育の歴史は比較的新しいという状況の中で、書物の中で語られ主張されてきた保育の在り方を学び、また、さまざまな分野の学問の確立に伴い、そこからも保育を見直し、さらに検討を加えてました。
子供の成長する空間として保育室は教育に大きな意味を持つと考えています。
歴史の中で保育室への関心が深まっていく過程がくみとれるのは、子どもへの理解が飛躍的に意識されだした証拠であったのかもしれません。